2018年12月31日月曜日

2018年

早いもので2018年ももう暮れる。

靴にまつわる2018年を一言でいうなら、"中古靴に手を焼いた年"だろうか。




今年購入した靴は合計5足
・02PR茶 新品
・2324茶 中古
・2235茶 中古
・2235黒 中古
・2235黒 新古

昨年も一昨年も次の年は修理に備えないといけないと考えていたが、昨年も一昨年も購入計画以上に靴を購入し、その新たに購入した靴の靴底がすり減ることで、既存の靴達の靴底の摩耗を遅らせるという状態が続いて、2年連続大した修理は発生していない。来年はどうなることか、自分でも楽しみ。

過去に3046SFや2236NAなどあまり履いた形跡の見られない中古靴は購入したことがあったが、今年購入した中古靴は誇張して言えば”履き古された”という表現が相応しいような靴も含まれ、私のメンテナンスではどうしようもなかったようで、クラックが発生してしまうという苦い経験をした。あまり履いた形跡が見られない靴では今の所クラックは発生していないので、現状の私の中古靴経験からすると、私は誰かが履いた中古靴の購入は避けるべし、と思っている。
だが、失敗から学ぶことはかなり多いようだ。

例えば、同じ型番、木型の2235を3足購入し、みな履き心地が違うことに驚いた。
同じ木型の01DRシリーズ3足でもそれぞれに似た履き心地ではありながら違いがあることは感じていたけれど、同じ型番の同じサイズでこうも違うというのは意外だった。
馴染みの差等も違いを感じる一因だけれど、タイト目の靴を購入するときには、実際に目で見て履いて確かめて買うことに大いに意味があることに気付かされた。
最近はネットで靴が買えるから実店舗はネットとの価格差以上の価値を顧客に感じさせないと存続が難しいかも知れないと短絡的に考えていたけれど、どうして靴は同じ木型、型番、素材であっても細かく言うと同じ履き心地、同じ革の靴は二つと無い訳で、実店舗で実際に見て履いて確かめて買うことに、掛け替えのない価値があることに気付けた。
こんなことを言う私が、今後ネットで靴を購入することがないとは言わないけれど、2割、3割引きの価格差よりも私は実店舗で実物を見て履いて買うようにしたいとの思いが強くなった。

それから、中古靴に触れたことでメンテナンスの意味をより深く考えるようになり、随分その考えが変わった。私の数少ない中古の古い靴を扱った経験からは、劣化した革は水分油分を補給しようがダメになるときはダメにになる、と言えるようだ。
結局、メンテナンスで革の状態以上の何かを引き出すことはできず、革のポテンシャルの中で革の劣化を少しでも抑えることがメンテナンスの本義のように今は感じている。勿論メンテナンスには汚れた靴を綺麗にするとか、他の意味もたくさんあるけれど、革の状態を維持し、革の美しさを引き出したいと思ってメンテしている私としては、このことは大きな発見だった。革以上の靴にはならないということのように思う。


今年の後半から健康を考えて歩く距離を意識的に伸ばすようにしたことで、サイズ感に関して新たに見えてきたことがある。
それは、靴には多少の余裕が必要であること。
このことは、靴のいろは本やサイトには割と書かれていることが多いことだけれど、距離を歩くようになって初めてこの意味が実感できるようになった。
私はタイト目の靴の方が気持ち良く履けると考えていた。
革靴に興味をもった頃に購入した靴は馴染んだらユルユル感が強くなり、靴の中で足が前のめりになったりしたことの反動もあって、足に馴染んで靴が多少大きくなったころ、丁度良いサイズ(痛くない状態)になるサイズが良いのだろうと思ってきた。
実際、一日に8千歩を歩くか歩かない生活ではタイト過ぎるかもと思う靴でも問題は感じていなかったが、一日に1.5万から2万歩を歩く生活では、割と顕著にデメリットが見え始め、一日に3万歩(25キロ弱)を歩くとそのデメリットは耐えられない程に顕在化した。
デメリットを端的に表現するならば”痛い”のだ。
靴擦れ、骨格の痛み、爪の変形、魚の目等々その症状は靴により様々だが、タイト過ぎる靴は、緩い靴に勝るとも劣らないデメリットがあると今は思う。
座っている状態が大半ならタイト目の靴でも良いかもしれない。
歩くとなると、座っている状態でタイトな靴は色々問題がでてくるようだ。歩く時は座っているときより足が大きくなる瞬間を多く繰り返すのが原因だろうと思う。

そもそも革靴でそんなに歩くんじゃないよ、という考え方もできるけれど、靴でありながら歩くことに制限を掛けるような靴を、私は快く思えない。走れないというならわからないでもない、目的が違うのだから。歩けないというのは、私的には靴失格。
なので、来年以降もサイズ感に関してはより突き詰めていきたいと思う。

年の瀬に、ほろ酔い加減で2018年を気の向くままに振り返ってみたけれど、まだまだ靴への興味は尽きず、少しづつ私の知らないことが見えてくるような状態が続いているようだ。
革靴に興味を持って5年。新卒で興味を持っていればまだ30歳にも届いていないのだから、まだまだ知らないことだらけで当然かな。

来年も、自分の中では購入計画を立てているけれど、その通りに行った試しがないので、計画には拘らず、履きたいと思った靴を買っていければと思う。
メンテナンスも自分なりに気の向いた時に好きなようにメンテナンスしていこうと思う。
日々の手入れは一度習慣化すれば苦にはならない。日々の最低限の手入れを習慣化してしまえば、後は人ぞれぞれ好きなようにすれば良いのではないだろうか。
好きなようにして、失敗したり成功したりで自分のメンテナンスが確立されていく、ような気がしないでもない。


この革靴初心者迷走ブログを訪れてくれた皆様、今年も一年ありがとうございました。
また、チルットさん、Shoe*さんをはじめ、コメントをくださった方々、本当にありがとうございます。励みになりますし、素直にうれしいです。

来年もこのブログを今のまま続けていく心づもりでいます。
”良いことも悪いことも正直に晒す”をモットーに。

2019年という年が、皆様にとって良い年でありますように。

4 件のコメント:

  1. 2019年になっての投稿が無いのが気になります。
    お元気であれば良いのですが。

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    1. お気遣い有り難うごさいます。
      更新が滞り申し訳ありません。
      昨年末から個人的な事情で靴に時間を掛けることが時間的にも精神的にも難しくなっています。
      手入れ出来ないと判っているので、ガラス革の靴二足でブラシ掛けのみでローテしてます。爪先は白ちゃけウエルトもガビガビの酷い状態です。
      クリーム入れるメンテをした際には簡略にでもアップデートしていこうと考えています。
      落ち着いて、またジックリと靴と向き合える日が来るのが待ち遠しいです。

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    2. そういう時期ってありますよね。

      私も気持ち的にも経済的にも靴にまったく手がかけられない時期がありました。

      当時、かなりの靴をダメにしてしまったのですが、それもまた人生の1ページだったと思っています。逆に、そういう時期があるからこそ人は深みを増していくのだと思い知らされることもありました。

      靴は道具。
      気が向かないときは放っておけばいいんです。道具は必要な時にまたやってきます。私が多くの靴をダメにした後に01DRCDやW10BDJと出会うことができました。

      最近は手持ちの靴がまた増えてきたので新しい靴には興味がなくなっていますが、もし私が今日まで靴に見向きをしないシーズンだったとすれば、きっとこれから手に入るよい靴に出会えていると思っています。

      私たちはライターでもなければアフィリエイターでもないので、アクセス数アップのための記事なんて書いても仕方がないですし、気が向かないときは違うことをしているのがいいのかと。

      ふとしたきっかけでまた熱意が出てくることありますし。
      それが私の場合は「Hayate備忘録」でした。

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    3. ShoeAsteriskさん
      おお、大変ご無沙汰しております。
      返信遅くなりまして申し訳ありません。
      暖かいコメントありがとうございます。


      誰もがいずれ直面するであろう両親の介護問題と病いへの対応、子供の教育問題等など、一家の担い手としてやるべきことが同時多発して継続しており、まさに悪戦苦闘中です。仕事だと優先順を付けられますが、家族のこととなると、生死に関わったり、将来に関わることが多くどれも後回しにすることなどできず、代わりもいない為、かなりシビアな対応を迫られます。

      そんなこんなで靴へ気が向かない、いや向けないようにしている状況です。極力靴関連の情報には触れないようにしていますが、Shoe*だけは楽しませてもらっています。この凄い靴手に入れたぜ!というような記事はなく物欲が刺激されないのと、物との向き合い方や生き方、価値観など頷けることや勉強になることが多くついつい見てしまいます。

      今、手持ちの靴達の大半は下駄箱に鎮座しています。
      普段はゴム底3足で履き回し、連投など当たり前で手入れは日々の適当なブラシ掛けのみです。擦って白くなった箇所があったり、ウエルトはガビガビだったりと、かなり過酷な環境でヘビロテしてかれこれ一年近く経過しますが、タフですね、まだ音を上げてはいません。靴は繊細な部分も多いように思い(思わされて)ますが、タフな面を目の当たりにしています。
      靴好きの人が見たら靴に関心を払っていない人の靴にしてしまいましたが、このように履き倒している人も多いのだろうと思います。多くの人の履き方で実際の所どうなのか、メンテの勘所はどこなのか、何か見えてくるものもあるような気がしています。

      介護は終わりが見えず、介護が終わって靴と向き合う時間を創れる環境と心境になるときは、別れの時を経験していることになるので、素直にその時を待ち遠しく思えない複雑な心境です。

      まぁこれも人生。多くの先達にとってはいつか来た道なのでしょう。
      悔いの残らぬよう、駆け抜けます。

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